シューマン記念館(デュッセルドルフ)を訪れて②

ターフェルクラヴィーアの先の北側の壁には、3 枚の絵が飾られています。 これらはフランスの画家ジャン・ジョゼフ・ボナヴェントゥ ラ ・ローレンス の描いた作品だそうです。

ロベルト ・シューマン 
クララ・シューマン
若き日のヨハネス・ブラームス
 1853年、ブラームスはこのビルカー通りのシュ ーマン夫妻の住まいを訪れました。初日は留守だったので翌日再度訪問。ブラームスは、自分の作品へのアドバイスを請って訪れたことをロベルトに伝え、自分の作品を演奏、披露しました。シューマン夫妻はブラームスの音楽とその才能を認め、 温かく迎え入れたそうです。この1ヵ月後、ブラームスは シューマン家に住むようになります。

 さて、この3枚の絵が並ぶとどうしても避けられない話題が『クララとブラームスの関係』ですよね。私が学生の頃読んだ本には、クララとロベルトの一番最後の息子が実はクララとブラームスの子だと言われていたことがあり、1800年代にこんなゴシップがあったことに驚ろきました。クララを慕うブラームスの情熱、またクララとブラームスが長く友情を育み続け、友情以上と言っても過言ではない信頼関係を感じていたことは2人の書簡からも読み取れますが、館長・ラブゼックさんは「近年、この二人の関係が情愛以上のものでなかったということが証明された」と話してくださいました。
 「ブラームスがクララに恋をし情熱的に思い続けたことに対し、クララは愛情を持ってブラ ームスの思いを受け止めてはいたものの、クララの貞淑で実直な性格、またそれらを裏付ける書簡や資料から二人は結ばれることはなかったとしっかりと証明されたんですよ」
 クララはロベルト亡き後、当代一のピアニストとして演奏活動を続けながら、ロベルトの全集編集、そして彼の作品を世に紹介し、作品の正しい解釈を後世に残すことへ精力的に活動を続けました。 クララはピアニストとしてもフランクフルトの音楽院にて教授を勤め、のちのピアノ教育にも多大な功績を残しています。 このような彼女の生き様を知ることもまた、ブラームスとの恋愛ゴシップはクララには似つかわしくないものと理解できる気がしました。

a gate

毎日音符たちと過ごす Sängerinのおしゃべり

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