1900年8月10日〜120年前の今日のグスタフ・マーラー

グスタフ・マーラーが1900年夏に過ごしたヴェルター湖
 BR Klassikの投稿によりますと、1900年8月10日は
<グスタフ・マーラーが自転車ツアーでバックを失った>日、だそう…

 夏の間、オーストリアのケルンテン地方にいたマーラーは、Berserker・野蛮人
(本来は踊り子のことを言いますが、ここでは野蛮な人物の例えとして使われて
いる言葉です)のように自転車を乗り回していました。
 どうやらマーラーは『動きたい』という欲を抑えられなかった模様です。
マーラーは身体の限界を認めることもできず、また自分の体の痛みを感じないよう
次のアドレナリンを探し求め続けていました。

 マーラーは彼の太ももとふくらはぎをつまむような痛みで苦しめてきた筋肉痛を
抱え、それをものともせずさらに物凄い速度で長距離を走り続けます。
 2度の大きな転倒で、マーラーは手の筋、関節の怪我の痛みに1週間以上苦しみ、
すべての関節は砕かれて痛むような思いもしていました。

 しかしこの安静にしなければならなかった時間を、マーラーは次のツアーの計画に
使います。『音楽楽譜』ならぬ『走行楽譜』のことでマーラーは頭がいっぱいでした。

 体を休め、しっかりと計画を練ったように見えたマーラーは、意気揚々と自転車
ツアーへ出掛けました。
 出発してしばらく経った頃、マーラーは、地図上の標高を見間違えていたため、
1000mの山を自転車を押しながら登らなければならなくなります。
オーストリアから、今日のスロベニアへ向かって一山を超えることになったマーラー。
押し続けるにも限界があり、自転車に乗せた荷物は、自転車のバランスをとりながら
次々におろされていきます。

 マーラーが家へたどり着いたのは8月15日。
そしてその時には、自転車さえも持っていなかったそうです。

 1900年はマーラーがウィーンフィルハーモニーの常任指揮者であった頃、あの交響
曲第4番を完成させたのはこのエピソードの最中、1900年8月5日だそうです。

a gate

毎日音符たちと過ごす Sängerinのおしゃべり

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