2020.07.27 10:34クララ・シューマン⑤ー④の続きー 1840年の結婚、41年の歌曲作品作曲への挑戦、妊娠、出産、そして僅かな(しかし大舞台での)演奏活動を経て、1842年、クララは再び演奏活動を活発に行う兆しを見せ始めます。 ライプツィヒを筆頭としたドイツ国内の演奏会の先には、コペンハーゲン、ストックホルムと長期不在が不可欠な国外への演奏旅行も続きました。 クララにとって演奏活動は彼女の望みでもありましたが、家計の立て直しを考慮したものでもありました。しかしロベルトはこのクララの活動を受け止め切ることができず、彼女の不在中に昔の悪癖だった賭け事や飲酒に溺れていきます。 このような中、1843年(クララ24歳)、2人目を妊娠していたクララは、一方で父・ヴィークと再会すべくドレスデンを訪れて...
2020.07.26 17:08クララ・シューマン④ー③の続きー 結婚式数日後、クララとロベルトの2人はライプツィヒのインゼル通りに新居を構えます。 現在は美術館のように見える小学校とコンサートサロンが併設されているこの記念館は(写真の建物です)、1838年ロベルトとクララの結婚2年前に建てられた建物でした。
2020.02.19 14:13クララ・シューマン① 昨年の話になりますが、2019年9月、10月、日本シューマン協会札幌支部では定期演奏会<クララ・シューマン生誕200年記念>をテーマに、クララへ焦点をあてて2夜に分けて演奏会を行いました。 たくさんの文献、ドイツ語の文献も読み(ドイツで暮らしているからと言ってなかなか向上しない語学能力💦 いつになってもドイツ語の文献を読むのは至難な作業です)、自身の演奏に加えて、クララの人生を追いながらプログラムノート 、演奏会解説作成のお手伝いをしました。 演奏会ではせっかく様々な情報をお届けしても、その時一度で終わってしまいます。『すでに多くの文献を読み時代や作曲家、作品を立体的に語ることのできる知識豊富な大学の先生の講義聴く』ような高度なレポート‼︎からは...
2020.02.13 19:58シューマン記念館(デュッセルドルフ)を訪れて⑤ 日本式3階建の1階部分の一室のみの公開であるこのシューマン記念館の最後の南側の壁部分を、続けてご紹介していきます。 写真左側に写り込んでいる胸像、見えますか? これはロベルトがまだ生きていた1852年に製作されたロベルトの胸像になります。 この作品は、当時デュッセルドルフ美術大学で働いていたヨハン・ペーター・フォン・ゲッティング(当時58歳) がすべて形取り作製しました。この作品が作製されている最中、ロベルトはちょうどミサ 曲ハ短調“ミサ・サクラ”の作曲中だったそうです。 この胸像はロベルトが生存中に作製された唯一の作品ですが、この時にクララの胸像も一緒に作製されたそうです。現在に至るまで残念ながらまだ発見されていませんが、いつかこのシューマン記念館...
2020.02.05 12:47シューマン記念館(デュッセルドルフ)を訪れて① デュッセルドルフ市の旧市街地の中で文化的な通りである<ビルカーシュトラーセ(ビルカー通り)>には、ロベルトとクララ が最期を過ごした住まいが遺されています。